永遠の不服従のために - 辺見庸

きりっとね!

咳が出る。悪くなっても病院にも行けず、ひっそり死んでいくのだろうか。

彼らはいい、虎ノ門に行けばいいのだから。彼らのためのベッドはいつも空いている。

税金返せ。


毎日気分が悪いが、何だろうと考えた。ふと辺見庸の文章を思い出した。確認したら「幻像」という短文だった。


夜の駅のホームでの痴漢騒ぎがあった。

走り去ろうとする若者、足払いをかけて若者を倒す男、立ち上がり逃げる男にウエスタン・ラリアットをかける別の男、倒れた男を押さえつける4〜5人の男。別に乱暴をするでもない。しゃくり上げる若い女、それをなだめるアルカイックスマイルの中年女。見事な連携プレイ。そして、登場する手慣れた駅員。


何がダメなのかと思うが、辺見さんの目にはそれらが白々しく、一連のクサイ芝居のように映ったのである。

「世界は完全だ。崩れてはいない。それぞれが当てがわれた役を粛々とこなしている。でも、何故人々の心はこんなにもうらぶれているのか?」


そして、渋澤孝輔という詩人の言葉を引用している。

「今は錯乱の季節だときみはいうか/そうではないいまはただ偽証の季節だ」

辺見さんは、「正気で偽証し、たがいに冷静に偽証しあい、偽証こそが正常の規制のなかで、私たちはつとに真実を忘れたのである。」とまとめた。

この文章が書かれたのは約20年前、小泉首相の頃である。その頃から始まっていたのだ。


考えが変わった。

マスク不足、トイレットペーパー不足、大いに騒ごう。

病院に行かせろと、

学校に行かせろと、

満員電車なんとかしろ、

金くれと騒げばよいのだ。

極論、マスクなんかつけなくていいんだ。

騒いだからって、彼らは蚊に刺されたくらいにしか思わないだろう。毎日の国会答弁のとおりだ。


政治が下手だからといって、国民がフォローしてやる必要はないのだ。

困っている人は助けたいが、うまく行くと政府が助かってしまうというジレンマ。困るよね!


言うことを聞かないと病気になるぞ!」と言われて言うことをきかされている気がして、それで気分が悪いのだった。

(2020/3/2)