パンチカード地獄

パンチカード地獄

1980年代、私は下請け業者として、銀行の「第三次オンライン」システムの仕事をしていた。

と書いてみたものの、今は何をしていたのか、具体的に思い出せない。とにかく、PL/Iという言語で何かのプログラムを組んでいた。

私は、銀行のことも情報処理のことも全くわからないで入社したバカ新人。研修を受けても勉強しない。社会人マナーもひどいものだったと思う。つまり、仕事ができなかったのだ。

頼りにならない先輩たち。冷たい元請け。助けてくれたのは、同業他社の専卒の人たちだった。

その銀行では、開発環境から本番環境にプログラムを移行する時は、JCLを手動でパンチカードに打って、それをオペレーターさんに渡して実行してもらうというルールがあった。

パンチカードに穴をあけるのにはタイプライターのような機械を使う。カードをセットし、キーを打つと、所定の場所に穴があく(年配の方はご存じかと……)。キー が重いので、ガッション・ガッションと音がする。キーを打ち間違えると、そのカードは打ち直し。またガッション・ガッション、あ~間違えた。いつまでたっても終わらない。

お名前を忘れてしまったので、仮に「丸山」さん、としておこう。丸山さんは専門学校卒で、数年の社会人経験がある謙虚な人。『パンチ』が異常にうまいので、丸山さんにすがることになる。丸山さんは、コーディングシートとパンチカードを見比べ、誤りを発見し、ガショショショショといったスピードで打鍵。バラバラになったカードを昇順に整理し、出来上がり。深く感謝したものである。

コーディングシートは、他人がパンチすることがあるため、「D→Ð」「I→小文字筆記体の i 」「U→大文字筆記体の U 」「O→Ō」と書くルールであった。今でも、OCR用紙にまでそのように書いてしまうので書き直しが多い。

それに、読み合わせのときには「D→デー」と読むならわしだった。Eなどと聞き間違えないようにするためである。今でもバンド練習のとき「ここはデー?」と言ってしまい、恥ずかしい。

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ナチスはIBMのパンチカード機器「ホレリス」を使って、ユダヤ民族を管理したそうだ。「ホレリス」 は、写真でみると武骨で、キーがものすごく重そう。毎日何千件の、犠牲者となる人たちの情報をこの機械で打鍵していた人たちは、その使い道を知らなかっただろう。知ったら崩壊するだろう。「ホレリス」はただの入力機器ではなく、分類したり並び替えたり集計したりできるコンピュータだったらしい。どんな分類をしたのだろうか。何を集計したのだろうか。

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記述時、「コンピュータ」に「ー」を付けないのも癖ですが、JIS(日本規格協会・情報処理のみ )で決まっているみたいですね。よかった。


(2019/06/04)