オーバーコート

約30年前、私は友人に誘われてある会社に中途入社した。そこにはMさんという男性がいた。

私よりいくつか先輩で、自由そうに見えるが、実は細かいことにうるさい人だった。私に対して特に小うるさいように感じた。

まず一番に思い出すのは、出張先で目黒の客のビルに行ったときだ。エレベータに乗る前に、「コートを脱ぐんだぞ」と言われたこと。「はい、そうですか。」別に問題のない会話だが、私は「この女は何も知らないからな」という彼の気持ちを読み取った。

転職後しばらくして、私はある理由で休みをください、とA所長に申し出た。彼は「ある条件を満たさないと休ませられない」という。そんな規則は見当たらないのだが。都合、私が半休(午前中休み)を取って、私的な用事を行い、所長から要求された理不尽な用事のために役所に行った。ところが、熱田区役所は「担当が昼休みで不在なので、後で来てください」という(どんな田舎区役所よ)。やむなく待とうと思っていると、Mから電話がかかってきて、早く来いという。

「エー、でもこちらはこういう状況でもう少し遅れます。」

「早く来てくれ」

私は当時の熱田区役所の身勝手さに付き合い待とうと思っていたのに、結局その日は役所の用事を終えられず、すごすごと会社に向かったのであった。

会社に着くと、状況は平穏、事故もなにも起こっていない。

Mは、私が少しでも午後の部に遅れることを許さなかったのだ。

野球部かなんか体育会系だったな。

まあこの辺はいろいろ意見があるところだと思うが、私としてはちっちぇ~奴、と思ったものだ。

時は流れて25年後、

疲れ果てた私はMの部署に流された。お互いよれよれだ。彼の部下のプロジェクトはいつも爆発していた。そのプロジェクトルームはいつもゴミ屋敷のよう。プロジェクトのダメさは、その作業部屋をみればわかる。彼の部下も、そんな汚い部屋で仕事をすることが平気になっているのが嫌だった。たいていきれい好きの人がいて、勝手に整理し始めるものなのだが

Mに連れられてお客との打ち合わせにいったとき、彼はペンもノートも持っていなかった。客は怒っているのにその態度はいかがなものか。彼は何を言っているかわからない。

残業で死にそうになっている部下はどうするのよ~あんた~

夏、彼は自分の机の下の段ボール箱から紺のオーバーコートを出した。「今年、家に持って帰っていないんだよな。」

知るか~い!汚い!隣のクリーニングに出せよ~!

エレベータで脱ぐどうのこうのより、不潔なほうがだめでしょアンタ!

彼はもう私に小言をいう、ちょっとお茶目で感じの悪い先輩から、身づくろいも十分でない鉛筆ナメナメおじさんになっていたのであった。

私はといえば体力が無くなり、若い人と方向性もあわず、でも我の強いおばさんになっていた。

最後の勝負は、毎年定例の人事部主催の「上司・部下面談」儀式だった。面談シートというのを書いて、上司と部下で部下の問題や展望などについて話し合わなければならない。くだらないけれど、自分がその時何を考えて行動しているという主張を社内に知ってもらう場だと思い、私は毎年真面目に書いていた。

Mは私に言った。

「お願い、『面談時間』に、5分と書いてくれない?」(面談しないけど)

私はもちろん『面談時間』に0分と書き、5分と書けと言われましたが面談していないのに書けませんと、自分が納得できないことを字数いっぱい、他の欄まで使って書き込んだ。山ほど書き込んだ。人事部は見ないかもしれない。だが渾身の「面談してないシート」だ。

Mはなんで面談しなかったんだろう?部下皆に「5分って書いて~」と言っていたのか。

部下たちもそういうことに慣れてしまっているのだろう、不愉快な話だ。

Mは私の面談シート上の返答に、「こういう情勢なので仕方ないのです」といった趣旨を書いた。意味わからない。実は元の会社は数年前にある会社に吸収合併され、部長クラスはいつ閑職に飛ばされるかわからない状態だった。だから「5分でいいから書いて」となったのではないかと思料。

ちっちぇ~んだよ。

部下100人いるわけじゃないんだから、面談してやれよ。

しかし、何事も起こらず、私は左遷された。もちろんもう仕事はできなかった。

Mは「スーパー部長」として生き残っているらしい。なにがスーパーなんだか。家に帰らないのがスーパーかよ。

話がとびますが、天下りというのはろくなものではないですね。天下る人も偉そうだったり卑屈だったり、天下られるほうは反抗したり取り入ったり、そんなこんなでエネルギーを消耗する旧人類。無駄無駄無駄!

若い人が、本当に価値のある労働ができる環境にあるとよいと思います。

(2021/3/10)