久我中尉を追って

1. 台北から台南へ

「応家の人々」は、日影丈吉の1961年の作品である。

日影丈吉は日中戦争時代、近衛捜索連隊として招集され台湾に派遣されたことから、台湾に関わる小説をいくつか書いている。

私は、誰もが魅せられる「猫の泉」(もちろん教養文庫)に接してから、日影丈吉の作品を読むようになった。


戦中の台湾を舞台とした「応家の人々」もまた魅力的な作品であった。

私は多少台湾に縁があるので、なお魅力を感じたのかもしれない。

主人公は久我中尉。

1943年に内地で招集され、特務に就いている。

久我中尉の仕事は警官のようで警官ではない、彼の仕事は戦時下にはびこると困ったことになる「思想」を取り押さえ、そっとつまみとることだった。

彼は自分の任務を空虚に思いつつ、南国のけだるさに倦み、そして魅せられていた。

そうして台北に簡素な部屋を借り、仕事柄、人の記憶に残らないように暮らしていた。

ところが、彼はある事件をまかされ、台南の美女を追うことになる。

台湾地図。

2007年の夏休み、私は何十年も前の、久我中尉の足跡を追うことにした。

その日、久我中尉は、上司の安土少佐に台北駅前のホテルに呼びだされ、任務を告げられた。

「大耳降で殺人事件が起こった。鄭という本島人がパーラーで毒殺された件を調べてほしい」

台南の大耳降では、それ以前に行方不明事件、殺人事件が起こっていた。警察はただの事件として片づけてしまいたかったが、安土少佐は久我に、事件のベースに不穏な動きがないか検分せよというのだ。

が毒殺された現場に居合わせ、実行できる可能性があったのは、本島人の黄、坂西夫人(応氏珊希)、パーラーの娘、内地人の品木渡であった。安土少佐が気にしているのは品木のような若者だ。品木は大学を出たあと、わざわざ大耳降の教員になったという理由で目をつけられていた。ただの文学青年と思われるが…。


彼は任務遂行のため、台南に向かう。台北から台南へは当時すでに鉄道がひかれていた。


台南では、情報収集のために、日本人の文芸好き集団にこっそり混じって活動する。ある日、品木くんという若者の話が出た。

品木は短編小説を書き、内地人の雑誌に投稿していた。

また、応家への紹介状も手に入れた。


彼は台南から大耳降まで、ヘルメットをかぶったまま、さとうきび畑の中を歩いていった。

私は中尉と同じく、鉄道に乗って台北から台南に乗り込んだ。

美しい南国風の駅。ものすごい暑さ。夜の濃いくらやみ。

久我中尉のように、安平古堡や赤崁楼あたりをぶらぶらして古を楽しんだ。

しかし、私は「大耳降」という町のことを、考えあぐねていた。

台湾で手に入れた地図には、大耳降という場所はどこにもなかったからである。

美しい台南駅

夜に輝く廟、何の神様かさっぱりわからない

小さな博物館があったので、覗いてみた。

年表、オランダ軍との戦いの絵画、古い写真や古地図が展示されており、地図が…古い地図が…

目を凝らしていると、そこに、あった。

「大耳降」ではなく、「大目降」ではあるが。


ここだ。

さらに、あとでわかったことだが、戦後行政区画整理のようなことが行われ、現在では「大目降」という町の名前はすでになく、「台南市新化区」となっていたのであった。

作者は、「大目降」という町を「大耳降」という名で伏せていた。戦中の台湾を知る人はにんまりしたことだろう、そして何十年後の読者が悩む罠をしかけておいたのだった。

まさに本格!