久我中尉を追って

4. 高雄から屏東、恒春へ

美貌の応氏珊希は突然姿を消した。久我中尉は応氏珊希を追って、ここから一気に南下を始める。

彼は本島人の憑巡査とともに、これまでの殺人の謎、あらたな殺人の謎、珊希の謎を解いていくのだが、ここから先のあらすじを書くと、もしこれから『応家の人々』を読む人がいたとしたら、申し訳ないことになってしまうのでやめておく。

ここからは、ひたすら久我中尉の足跡をたどることにする。

 翌日、私は台南駅から汽車に乗り高雄市にむかった。高雄は内地人が造った熱帯唯一の貿易港で、台湾の都市の中では、一番日本人の体臭を感じる町である。

私はそこの州庁に出頭して、必要な手続きを終えると、ちょうど理蕃課のトラックが、恒春郡の蕃地まで木炭の集荷状況を調査に行くということを聞いたので、それに便乗させてもらうことにした。助手席に乗れというのを、ことわって、私は荷框にあがり、いくつかの庄を、ゆられながら過ぎて、長さ東洋一といわれる下淡水渓の人道橋をわたり、屏東市にはいった。‘


’高雄州庁のトラックは屏東市役所に寄って同行者をひろい、また南へむかった。’


’車はやがて海岸線に出た。長い間荷框で日に照らされ、疲れて眠くなった眼を、私は海と丘陵郡の、素晴らしい景色に見はらされた。’

出典「応家の人々」、日影丈吉、中公文庫

理蕃課のトラックは各所各所で人を拾いながら、恒春の四重渓温泉に向かうのだった。

私も台南から高雄に行き、一泊することにした。確かに高雄は大都市だ、ホテルの値段も高い比較的安い宿を予約していったが、宿の場所がわからない。親切そうな男性に聞いてみると、日本語で丁寧に教えてくれた。当然日帝時代に覚えたわけではなく、ビジネスで日本に頻繁にきていたからだ、と言っていた。

大雨のあとの高雄の虹。日本のものとちがう。

宿泊した安ホテルのエレベーター。何故この並びなのか?

手ブレ王なワタシ

翌日は屏東を経て四重渓温泉に行かねばならない。

現代には理蕃課などありえないので、高雄から屏東までは列車で行った。台湾の列車は激しい自然の中でも安定して運転されているので安心できる。

ところが、屏東に着いてから困惑した。どうやったら四重渓温泉に行けるのかがさっぱりわからない。バスの行先も漢字ではあるものの、どこに行くのやら。

途方にくれていると、町おこしのツーリストと思われる若い人の一団が目に入った。つたない英語と筆談で、「私は四重渓温泉に行きたい、行き方を教えてほしい、宿も予約してほしい」とお願いしたところ、苦労して宿を調べ、電話して予約をとってくれた、無料で。もちろんバスも教えてくれた。このバスに乗ってxxまで行けば、そこでタクシーが拾えます、と。

屏東行き列車(普通列車)

屏東駅

バス乗り場、わかるようでわからない。

どこか行きのバスに乗り、指定されたどこかの停留所で降りた。

何もない。緑の山と道路と一軒の家があるだけだ。まるで三重県の山奥のようだ。タクシーなんていないじゃないか~。愕然、とはこういうことか。


ふと、家の人が出てきた。見ただけで私の状況が分かったようだ。むりやり話をすると、どうも、タクシーを呼んでくれるようだ。地獄に仏とはこのことか。

数分待つと、結構古い車が回ってきた。おお白タクだ。しかも運転手はおじいさんだ。だが、なんだってかまわない。

「助かりました、よろしくお願いします(大感激)」

「ああ、四重渓温泉ね、すぐだよ」

え、日本語しゃべれるの、それにしょっちゅう日本人乗せてるのね、もしかしておじいさん卒ないね…

おじいさんの古い車はすごいスピードで蛇行する山道を登り、私はなんとか宿に着いたのだった。

おじいさんの要求した料金は多少高いと思ったが、まったく値切る気にはならなかった。

今でも感謝でいっぱいである。

そんなわけで、旅は続きます。読んでくれてありがとうございます。