久我中尉を追って

5. 四重渓、恒春、そして台南に戻る

久我中尉は高雄州庁の理蕃課のトラックに乗せてもらい、内埔、海口から四重渓へと、ある廟を探しながら向かった。四重渓にはあがりさがりの多い日本家屋の旅館があり、兵隊と役人が混じっての、どんちゃん騒ぎとなった。

 四重渓は、その名のしめすとおり、曲がりくねった渓流の断崖の上にある部落である。が、南部随一の温泉郷という評判にしては、あまりにも辺鄙なところだった。近くに石門の古戦場があり、その上の山上盆地は、台湾征伐の原因を作った牡丹社蕃の住む仙境なのだ。が、いまはこの地方も、内地人、本島人、蕃人の三民族が他地方に見られないほどの親睦を、示しているといわれている。

出典「応家の人々」、日影丈吉、中公文庫

おじいさんの白タクに連れてきてもらった四重渓には、久我中尉が行ったような日本旅館はとっくに無くなっていた。

予約した宿は、ロッジ風の小屋が並んでいるこじゃれたところだった。食事は野菜・山菜中心のさっぱりしたもの。小さい動物園が併設されていて、家族連れで遊びにくるところのようだった。

温泉はあるが、温泉プールなので、水着で入る。ほかのお客が私を見てなにかわめいて怒りはじめた。やっと気づいたが、シャワーキャップをかぶらねばならないのだ。プールだから。あちゃー。

バスの中から見た、どこかのバス停

素敵な柱

大山SPA農場

幸せそうな子ども

今はもう大人になっているな。

久我中尉はもちろん宴会には主席せず、翌朝、君津巡査が情報をもってくるのを待っていた。君津巡査はふもとから自転車をとばしてやってきた。このあと彼は恒春あたりの廟を探し回り、目的のものを見つけるのだった。

四重渓は、深い山の中にある


無理、絶対無理。あの長い坂道を昔の自転車で登ることはできないだろう。実地検分があまいのでは?と疑ってしまう。

恒春中の廟をたどるのには情報が少なすぎて、私は追跡をあきらめた。せっかく来たので鵝鑾鼻 に行くことにした。

鵝鑾鼻は台湾本島最南端の岬 である。きれいな公園に整備されており、ここも家族や友人で訪れる場所のようだった。帰りのバス時刻を確かめて散策する。自然がはげしいなと思う。

私はこのあと高雄に戻り、龍虎塔(工事中!)のを見て、台北に戻った。

台南に戻った久我中尉は、確信をもって、ひっそりした夜に、再び応家を訪ねた。

麻の服を着た美しい青年が現れる。外国に留学中の応氏珊希の兄、応家の当主だ。

(ああ、これ以上は言えない!)

話を終え、久我が外に出て新公園の木立の中に入っていくと、憑巡査部長が立ちすくんでいた。

これじゃあ何のことかさっぱりわからないですね、でもここは言えないのです。是非読んでほしいナァ。


戦後数十年、戦争関係者の集まりに出席し、その醜さにうんざりしてしまった久我は、久しぶりに会ったもと特設憲兵隊の少佐だった老人、安土に導かれ見附のキャバレーに行く。安土は謎の死を遂げるが、そこに居合わせたのは、若い外国人の女だった。久我は彼女の求めに応じ、彼女をかくまい、香港に逃がすのだった。

彼女が最後に彼に告げた名前は「応氏紅珠」。久我の探索は終わっていなかったのである。

久我中尉と私の足跡

こうやってみると火サス状態です、映画にしてほしい!

筆者はあとがきで、こんなことを書いています。

 その世界について、私は読者に、どこのツーリスト・ビューローにも売っていない切符を、お渡しし、そのうえ、どんな良心的ベデガーよりも正直な案内書を添付したつもりだが、読者は、不快な退屈な旅だったというかもしれない。‘

出典「応家の人々」、日影丈吉、中公文庫

私は、この小説を読んで頭の中で旅をし、実体験として旅をし、こうして思い出して旅をし、3回旅をすることができた。

まったく退屈ではないですよ、日影様。

あとは見附のキャバレーに行かなくてはなりません。だれか付き合ってください。

おわり

読んでくださってありがとうございました。