A Tale of Two Uriah Heep
その2- バンドの「ユーライア・ヒープ」 闘争編
その2- バンドの「ユーライア・ヒープ」 闘争編
これは、-A Tale of Two Uriah Heep -dawn- の続きです。
Paulは去った。バンドは新たなベースプレーヤーMark Clarkeを迎えたが、Heepのツアーやレコーディングなどがあまりに忙しすぎて、数か月で神経衰弱となり脱退した。
次に見つけたのはGary Thain、彼はイギリスに住んでいるニュージーランド人で、若いけれども才能あるベーシストだった。Mark ClarkeからGaryへの引継ぎは10日間程度で済み、Garyはすぐに演奏ができた。
それからKenさんは、The Gods で演奏していたドラマーのLee Kerslakeをスカウトした。Leeは中学生の頃からドラムを演奏し始め、もともとThe Gods、Toe Fat等でKenさんと演奏していた。Leeはバッキングボーカルもできるし曲も書けた。
この頃Leeは他のバンドに関わっていたが、Heepは何度も彼に会い、ついにゲットしたのだった。Leeは「この仕事を選んだのはMick Boxとジャムをしたときにとてもしっくりきたからで、Kenと知り合いだったからじゃない」と言っている。この人はKenさんについて辛口コメントが多い。(それなのに今でも友達だと言っている、男たちの不思議さよ。)
…私はLee Kerslakeのドラムが好きなんです。ドンドコ・タンタカ、重いのにタイトだと思いますが、どうでしょう?…
Mick Box (guitar)
David Byron (vocal)
Ken Hensley (keyboards, guitar, vocal)
Mark Clarke (bass, vocal この時はまだGaryではない)
Lee Kerslake (drums)
Yesのアートワークで有名なRoger Deanの美しいジャケット。Bronの力の入れようがうかがえる。
…Salisburyとはえらい違いですね(前回ご参照)…
音楽的な評価はこちら → Moonshine Dreamer's Worldさんの詳細な研究結果
このレコードは超ベストセラーとなり、Heep最高の作品とされている。ライブは至る所で満員となり、多くのファンクラブが結成された。
ところで。
70年代には、ロックと薬物乱用とセックスはセットだった。
Heepもお約束に従った。レコードの成功に逆らうかのようにDavidは酒に溺れ、Kenさんもコカイン中毒、Garyは違法薬物を使用し、Mickまでもが酒を大量に飲むようになっていった。
Lee:「Davidは(酒によって)少し変わり始めたが、飲んでいてもステージでスターになることはわかっていた。だから誰も彼をステージから遠ざけることはできなかった」
Mick:「たとえばDavidがロイヤルアルバートホールに歩いて行けば、誰もが『Davidだ!』とわかるだろう。彼はカリスマ性を持っていた。いつでもカリスマスイッチはオンだった、けれどもオフにすることができなかった。酒を飲んだ時は何でもできると思っていた。彼には繊細なところがあったが、だれにもそれを見せなかった。」
そんな状態でも、Bronは次のレコードの発売日を前倒しできないかとバンドに電話してきたのだった。
---余談:1973年の『Tax exile』---
イギリス政府は財政難だった。
当時のイギリス労働党政権は、売れているミュージシャンに高い所得税を課した結果、何千人ものレコーディングアーティストに海外に逃げられた。Rod Stewartはトップ所得者に課せられる83%の税金から逃れるために、1975年にロサンゼルスに家を建てたという。
確かQueenは、最初は「俺たちはイギリスにいるんだ、納税は義務だ」くらいのことを言っていたのに、気がついたらアメリカに行っていた。否定する気はないけど、聴く気は無くなったナァ。
1973年はオイルショックの年。私もガソリンスタンドで並んだものよ。
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(前回のDemons and Wizardsから何枚か飛ばしています。)
David Byron (vocal)
Mick Box (guitar)
Ken Hensley (keyboards, guitar, vocal)
Gary Thain (bass guitar)
Lee Kerslake (drums, percussions, vocal)
これも節税のため、ドイツ・Münchenのミュージックランドスタジオで録音された。しかしWonderworldの作成風景は、タイトルのように美しいものではなかった。
Uriah Heepは相変わらず多くのストレスをかかえていた。
Kenさんはコカイン摂取量が増えたため、被害妄想、うつ病、気分のむらなどに悩まされた。Kenさんからすると、自分は素晴らしい曲を書いているのにそれを歌うDavid が注目を集めている。KenさんはDavidが気に入らなかった。
DavidはChivas Regal brandyを飲んでばかりいた。Davidは、自分が名声を集めているのにBron始め経営陣がKenさんの意見しか聞かないことが不愉快だった。彼のステージの上での華々しさは、ステージ外では問題となった。気性が荒くなり、争いがエスカレートし、エゴが爆発した。
Kenさん:「私たちはいつもツアーばかりしていたので、レコーディングに全く集中できなかった。それは明らかに節税のため、ビジネス上の理由だった。その時バンドはばらばらになり、これまでの、困難を乗り越えてきた何かを失った。」
Mick:「すべてが血まみれの悪夢だった。Kenはほとんどの時間部屋で泣いて過ごし、Davidは信じられないほど深酒をしていた。KenとDavidに同時に何かさせるのは無理だった。」「すこし休むべきだった。」
しかし、休むという議論はなく、ものごとは猛スピードで進んでいった。
Garyはヘロイン中毒に落ち込んでいった。
1974年のアメリカツアー中にGaryがステージ上で感電。
Gary:「ベースで高音をだそうとイコライザーを調整するためにアンプに近づいた。私は失神した。Davidはすぐに私が感電したことに気づき、急いで私の手からベースを引っ張った。最初は私が呼吸していなかったので、彼は私が死んだと思ったし、私は板のようにそこに横たわっていた。Bronは、私をそのまま放置しようとしたと思う。音楽は忘れられ、金のことだけ考えていたから。」
Kenさん:「私たちは皆、自身の問題に対処するのでせいいっぱいだったので、Garyに十分な注意を払うことができなかった。」
Mick:「Garyの事故の後、Heepはツアーを続けさせられた。全能の$のために。それがGaryの転落の始まりだった。事務所から彼への支援はなかった、今日では決して許されないことだ。私たちは皆GaryやDavidと同じようなトラブルを抱えていたが、サポートはなかった。」
感電事故は、ヘロインによって弱っていたGaryの体に打撃を与えた。
わずか3ヶ月後、GaryのガールフレンドYoko Sugiriaは、彼がロンドンSouth Norwood郊外の自宅のバスルームで死んでいるのを見つけた。ヘロインの過剰摂取が原因とされている。
Mick:「今だから言うが、彼の死を知った日、私は外に出てコカインをやった。」
Garyの後継者は、元Family/King Crimson/Roxy Musicのベーシスト、John Wettonだった。Wettonは、作曲家で、ボーカリストでプレイヤーであり、バンドにとって貴重な人物だった。彼の音楽のルーツはHeepメンバーのそれと全く異なっており、子供の頃は兄と地元の教区でオルガンのバスのパートを演奏していた。
David Byron (vocal)
Mick Box (guitar)
Lee Kerslake (drums, percussions, vocal)
Ken Hensley (keyboards, guitar, vocal)
John Wetton(vocal, bass)
Wetton:「Heepは世界で最も素敵なやつらで、私はとてもくつろいだしDavidと私は親友になった。私はGaryと交代することについて、何とも思っていなかった、彼は偉大なベースプレーヤーだったが、自分のスタイルを変更する必要はなかった。Heepが最も成功した期間はLeeとGaryが加わった後だと知っていたが、問題はなかった。」
…これは、俺は上手いからね、と言っているナ!…
「私はKing Crimsonでは、奇妙なリズムの、とんでもなく複雑なロックを演奏していた。Heepは私に気持ちの良い休息を提供してくれた。ハードロックを演奏することが楽しかった。私が参加した理由は金のためではなかった。当時、Roxy Musicは私にHeepと同じギャラを払っていたが、私はRoxy Musicに留まりたくなかった。」
このときWettonファンが雑誌に投稿した詩:
Crimsonが分裂したとき、私は泣いた、
私の人生はめちゃくちゃになった、
今John WettonはUriah Heepに加わってしまった、
気が狂いそうだ。
どうか、どうか、落ち込む、それは嘘だと言ってくれ、
もしBill BrufordがStatus Quoに加わるなら、私は死んでしまいたい
…(≧▽≦)…
Wetton:「Heepはバンドをピークの状態に戻す触媒として私を見ていたかもしれないが、無理なことだった。KenとDavidは、誰が精神的リーダーか、誰がビジュアルのリーダーか常にせりあっていたが、解決されるはずがなかった。」
「Davidはいつも酔っており、大きな問題だった。ショーが始まる前にChivas Regalを飲む。それは災いの準備だ。Davidは時々非常に好戦的になった。」
Davidの言動は的を得ないものになり、翌年のPhiladelphiaライブでは3,000席すら売れなくなった。Davidは自分のキャリアを台無しにし始めていたのだった。
ある日Kenさんは、もうこれ以上ライブを続けないことを決心し、アメリカツアーの途中で帰国してしまった。それは癇癪以上の決断で、金に集中している人たちにたいして投げかけたシグナルだった。
Kenさん:「私たちが行ったすべてのショーは、悪いことばかりだった。私はBronに、もうこのような状況でバンドを続けることができないと言った。Bronが何度か状況を整理しようとしたが、結局はうまくいかなかった。そして私たちは、Davidを交代させる必要があると決めた。DavidはGaryと同様替えがたい人物だったので、本当に悲しかった。」
…ここで言う「私たち」は誰のことか。私はBronとKenさんだと読んだ。…
「そして、Bronは、私たちに別のアルバムやツアーなどの計画を持ってきた。」
…資本主義の鬼であろう。…
Davidは重い水疱瘡にかかり、レコードの録音に6週間ほど出てこられなかった。Davidがいないにもかかわらずレコーディングは進み、Davidの代わりにWettonが歌った。Davidが復帰してきて、彼がハモンドオルガンのように声をかさね、皆安堵した。
でも、誇り高いボーカリストの内心はどうだったのだろう?
その後もDavidはライブで群衆にシャンパンを浴びせたり、ステージから転落したり、ひどい有様だった。
…私が観た動画では、Davidがステージでマイクスタンドを握ろうとして空振りし、宙をかいていた。あれはよっぱらいだ…
スペインにて。ライブのスタジアムが施錠されているのを見て、Davidは完全な「俺がだれかわかっとるんけ~!」モードに入り、板ガラスのドアを蹴破ってしまった。いくらなんでもそれは英国人としてダメだとMick翁は言っている。
1976年7月、Bronはバンド声明としてDavidの解雇を発表した:
「私たちはもうDavidがバンドに協調できないと感じている。私たちはUriah Heepの最善を考えて行動しなければならなかった。」
バンドは新しいリードシンガーを選んだとも報じられた。
Davidは平気な顔をしていたという。
Davidの暗黒面についてKenさんとMickは身に染みてわかっていたものの、彼がいなくなった時の隙間についても十分わかっていた。
Kenさん:「Davidは素晴らしいフロントマンで、置き換えることは決してできなかった。Garyも別の偉大なベースプレーヤーに交代させられたが、とどのつまりGaryではなかった。」
つまりGaryがいなくなり、Davidがいなくなった時点でUriah Heepは終わった、とKenさんは言っているのだ。そんな、アンタ。
…20歳そこここの若者たちに投資し使い倒してきたBron、取り入って売り込みに成功したKenさん、という風に見えるんだけど。Kenさんファン、すみません。…
そして、WettonはHeepを去った。
Wetton:「Davidはバンドを失望させ、彼以外のメンバーは一団となってDavidを袋だたきにした。Davidがバンド内で不快に感じていた理由が何であれ、私も同じように感じていた、だから私も出て行かなければならなかった。私がHeepと一緒にいる時間は終わった。」
「Davidと私はとても親しかった、私たちはいつも連絡を取り合っていた。私は彼が解雇される直前に、休暇でマヨルカ島に行くことにした。私はそこでマネージャーにHeepと再契約しないことを伝え、その後Davidがやめさせられたことを知った。それからDavidに何が起こったのか、それについて話す人は少ない。」
「私はDavidがHeepを去った後、ずっとずっとDavidと連絡を取り合った。私が言えるのは、私は本当に、本当にDavidを愛し、私は彼の葬式に行ったことだけだ。」
「Davidは解雇されたとき、大変うちのめされていた。解雇されるのが好きな人はいないし、Davidはこのビジネスで誰もが持っているような自信を持っていた。私の推測では、彼は自分が知っていた唯一の方法で痛みを痺れさせた 、ということだ。」
Davidは過去にこう言っていたという。
「Kenの曲を歌うときは何も感じない-私はただ歌うだけだ」
Bronがバンドを「Uriah Heep」と名付けた日、そこにはDavidとKenさんがいたから、と私は思う。二人の間の火花のようなものを、敏腕プロデューサーのBronは最初から感じ取っていたのかもしれない。
連想: David → David Copperfield →✕← Uriah Heep ← Kenさん
…もう一回、バンドのUriah Heepについて書かねばなりません。A Tale of Two Uriah Heep -revival-
David Copperfield まで行きつくでしょうか…
(2020/7/20)
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謎の女性 Yoko Sugiriaさん。杉里葉子さんと表記されているサイトもある。ふ~ん、と思って探していたら、SNSにMikaさんというGaryの奥様がいらっしゃいました。Heepファンの間ではそれ常識~って感じかもしれません。