A Tale of Two Uriah Heep
その3- バンドの「ユーライア・ヒープ」 再生編
その3- バンドの「ユーライア・ヒープ」 再生編
これは、A Tale of Two Uriah Heep -Struggle- の続きです。
David ByronをクビにしJohn Wettonに去られたHeepは、代わりのボーカリストとベーシストを見つけなければならなかった。
ボーカリストのオーディションにはDavid Coverdale、Ian Hunter、Paul Rodgersらが来たという。結果は、ドイツのバンドLucifer's Friendで歌っていた、ほぼ無名のJohn Lawtonが採用された。
Kenさん:「Roger Glover (Deep Purpleのベーシスト)がLawtonを推薦してきた。LawtonはRogerのソロアルバムに出演していたからだ。LawtonはDavid Byronのようなロックスターらしいルックスではなかったし、髪は少なかったが、前向きな態度だった。」
失礼だな。
ベースにはTrevor Bolderをスカウトした。David Bowieと共にSpiders From Marsで大成功していた人である。
Kenさんは、Heepの独自性を保ちながらも進化し、古いファンに受け入れられつつ新しいファンを獲得することを考えたのだった。
新生Uriah Heep
John Lawton (vocal)
Mick Box (guitar)
Lee Kerslake (drums, percussions, vocal)
Ken Hensley (keyboards, guitar, vocal)
Trevor Bolder (vocal, bass)
音楽的な評価はこちら → Moonshine Dreamer's Worldさんの詳細な研究結果
8曲のうち7曲がKenさんの曲だった。残りはLeeの一曲。イギリス本国ではチャート入りを逃したが、北欧では人気が高かったという。日本では、私の記憶では音楽雑誌のすみっこに載っていた感じだ。1977年はDavid Bowieの「Low」の年。Rockは多様化して、Heepは目立たない位置につけていたのであろう。(実は太く長く流れていたのだが。)
参考:1977年の音楽
…ここからは原本に関係なく、私の話である。
その年私はFireflyを買い、「はずれだ」とがっかりした。Fireflyはプログレでもなければヘビメタでもなく生ぬるかった。それなのに。
なぜか鼻歌で「ワーイズマーン、ワーイズマーン、ウィッチウェイシャララ~ン」などと歌っているではないか。なんでやね~ん!
えっ、Kenさんってすごい人なの?と思ったのはずっと後のことである。
いま改めて聞くと、すべてのパートが際立ち、すばらしいアルバムだったことがわかる。LeeのDrum、TrevorのBass、MickのGuitarが「俺達の役目はわかってるぜ!」と言っている。そこにLawtonのミラクル・ボイス! John Lawton超かっこいい!超歌うまい!
A面2曲目の「Been Away Too Long」はハードな名曲で大好きだが、特にDrumが好きだ。Lee、最高!
Heepの曲はまじめなものが多い。Davidの時は「華奢な若者」感がよかったが、Lawtonに変わると「熱い青年」色が濃くなった。女の元を立ち去る時ですら熱くて誠実である。当時の彼らの年齢をとうに追い越した今、「大変そうだけど、なんかうらやましいわねえ」と思うことよ。
新しいHeepはアルバムを宣伝するために毎晩ライブを行った。LawtonはDavid Byronとは異なる印象を作ろうとしてアイシャドウを塗るなど努力した。私が思うに、これはエジプト風である…。
John LawtonのJuly Morning、Davidとは違う良さがあります。
CDだとオマケでついてくる曲。なんでいまさらオマケをつけてくるのか知らないが、本編よりいい感じだ。むっちゃかっこええ!
Crime of Passion
Kenさんは自分の世界を表現するためにLawtonを選んだのだと思う。Kenさんがその時の自分の純粋さを表現するには、Lawtonのまっすぐな声が必要だったのである。
John Lawton (vocal)
Mick Box (guitar)
Lee Kerslake (drums, percussions, vocal)
Ken Hensley (keyboards, guitar, vocal)
Trevor Bolder (vocal, bass)
なんでこんな軟派な曲やってんの、という印象。ところが新しいCDにはオマケがついていて、そちらの曲はよい。ということは、彼らはたくさん作った曲の中から「今風」な曲を選び、「今風」にアレンジしたのだと思う。
Bron:「アルバム『Innocent Victim』は成功ではなかった。しかし西ドイツでは100万枚以上を売り上げ、西ドイツのトップ20に3回以上入った。その中の『Free Me』はHeepにとってヨーロッパ最大のヒットシングルとなった。」
Kenさん:「『Free Me』はそれまでのHeepの曲とは何の関係もない単純なポップソングだった。それがヒットしたためにHeepはポップ路線でやっていくべきだと考え、私たちは奇妙なポップソングを書き始めた。しかし、私は金銭のためにポップソングを書くことができなかった。」
みんな!その服はおかしいだろう?
Heepは再び上昇しているように見えたが、舞台裏ではまたもや不仲が始まっていた。
一つ目はKenさんとLawtonとの軋轢、二つ目はLeeのBron&Kenさんへの不信である。
◆KenさんとLawton
Lawtonはいつもツアーに妻のアイリスを伴ったが、Kenさんはそれが気に入らなかった(嫌な女だったのかも)。しかしLawtonは家族連れをやめず、Kenさんを刺激した。暴力沙汰になりそうだった。
Lawton:
「私たちは話し合いをしようとしたがうまくいかなかった。私たちの間の亀裂は深くなった。『Free Me』が大成功したので、問題は表面化しなかった。」
Kenさん:
「Lawtonとの対立は大きくなり、皆が戦いに巻き込まれた。醜い状況だった。だからMickと私はLawtonを辞めさせることにした。私もバンドを出ていきたかったが、Bronは私を説得し、残留することになった。
◆LeeとBron&Kenさん
Leeはメンバー間の収入の差について怒っていた。Kenさんばかりが優遇されているように思えたのだ。
Lee:「アルバムに自分の曲が入っていると自分の収入になる。BronはKenの曲を好み、彼の曲を多くアルバムに入れた。その結果、Kenの収入は他のメンバーを大幅に上回った。」
Bron:「Kenは多くの曲を書き、多くを稼いだ。彼はモーターレースチーム、スタジオのある大きな家、そして車のコレクションを持った。32歳の大富豪ロックスターがそのように振る舞うのはやむをえなかっただろう。」
「私はKen以外のメンバーが不満をもっていることに責任を感じていた。しかし、私は日の光を見るべきと感じた曲を選んだだけだ。」
Kenさん:
「Leeはミーティングで『Bronと私が癒着して他のメンバーの曲を排除している』と主張した。そう見えたかもしれないが、Leeが一曲書いている間に私は20曲書いた。そして、Trevorが一曲書いている間に、私はまた20曲書いた。だから、アルバムが私の曲ばかりになるのは当然だった。」
「Bronは『自分は最高の曲を選ぶ責任がある』と答えた。それはできるだけ多くのレコードを販売し、それを通じて私たち全員にできるだけ多くの金を還元するためだった。もちろん、私たちの収入はすべて同じではなかったが。」
「Leeの意見には根拠がなかった。そのやりとりの結果、Leeは解雇された。」
Heepは4枚目のアルバムのレコーディングを開始したが、LeeとLawton双方が突然やめたとして、その仕事は放棄された。Uriah Heepはまたもやトリオになってしまった。
Kenさんはいつも大切なメンバーをHeepから外してしまうのだった。
10周年記念ツアーが迫る中、今度はドラマーとボーカルを入れなければならなかった。
John Slomanを連れてきたのはTrevor Bolderだという。
Trevor:「私がLone StarのJohn Slomanを思いついた。友人にとりついでもらい、やっとSlomanをオーディションに連れてくることができた。私たちはDavid Byronのような、ステージ上で存在感が出せる人物がほしかった。」
SlomanはLawtonよりも若くて見栄えが良く、うらやましいほど豪華な髪の毛を持っていた。
右側の人。手前の人はちがいますね!
Kenさんは別のvocal候補のPeter Goalbyを好んでいたが、最終的にはJohn Slomanに決まった(のちにGoalbyはHeepのボーカリストになる)。
私もこっちのほうがいいなあと思うが。
Kenさん:「John Slomanの選択は間違っていたと確信している。それは私とバンドを分裂させた。」
Trevor:「Kenは少なくとも最初は新人を歓迎していた。」
Mick:「SlomanとGoalbyは二人ともスタジオで歌う機会を与えられ、GoalbyはPaul Rodgersのようではあるが、Slomanにはいろいろなインスピレーションを与えられた。彼はカッコいい少年だし、『July Morning』の高音も出すことができた。彼を選ぶことは100パーセント正しいと思った。当初、KenはSlomanについて黙っていた。」
プレスコメントでさえ、John Slomanの加入を歓迎した。
ドラマーはBronの提案で、ブロンズレーベルにいたChris Sladeになった。
John Sloman(lead vocals, backing vocals, piano, percussion)
Mick Box(guitars)
Chris Slade(staccato drums, percussion)
Ken Hensley(organ, piano, guitars, backing vocals)
Trevor Bolder(bass guitar, backing vocals)
問題はすぐに、Conquestのレコーディング中に始まった。
そして、なんとKenさんがHeepをやめたのだった。
◆もめごと その1:SlomanとKenさん
Slomanは多くの曲を大量に出してきた。その驚異的なアウトプットは、Heepの作曲第一人者としてのKenさんの役割を脅かした。
Kenさん:「Slomanは私の簡単なメロディの曲の歌詞を理解しないまま、すべてのメロディを複雑に変えてしまうのだった。」
「バンドはSlomanが曲を書くことで私の曲から逃れられると考えたと思う。」
そして、HeepはKenさん&Chris Sladeの組、Sloman&その他に分かれ始めた。
◆もめごと その2:Kenさんの増長
Mick:「ステージで、Kenはソロスポットのための特別な照明リグを付けろと言った(自費だが)。また、彼は自分の楽屋を持っていた。本番5分前に内容を変更しろと、私たちの楽屋に来た。皆はそんなことは望んでいなかった、ただ演奏をしたかった。」
◆もめごと その3:Bronの事情
ブロンズレコードは、Motörhead、Girlschool、Hawkwind、Osibisa、The Damnedなどを含むバンドの活動に忙しかった。特に、Bronは、ブロンズレコードとHeep双方の成功を元手に航空会社を立ち上げたものの、うまくいかなくなってきた。BronはHeepから遠ざかっていた。
バンドの力関係は変わり、Kenさんはボーカリストを追い出すための援護が得られなかった。Bronのオフィスでの会議の後、Kenさんは辞任する以外なかった。
◆もめごと その4:Heepじゃなくなった
Kenさん:「もし私たちがバンドをUriah Heepと呼ぶならば、少なくともバンドの伝統に対する忠誠心を維持すべきだった。」
「Garyが死んだとき、パズルの一部が行方不明になった。John Wettonは才能があったが、Garyが残した穴を埋めることはできなかった。バンドの音楽はUriah Heepのように聞こえたものの、実は違っていた。そして、だれもがロイヤリティを気にするようになってしまった。」
驚くべきことに、Kenさんはこう言った。:
「私は曲のほとんどを書いたが、私はバンドのリーダーではなかった。私の最大の間違いは、薬物と私のエゴだった。それらが他のメンバーに影響を与えたと思っているし、残念に思っている。後年、私は皆に謝ろうとさえした。」
…仲違いで壊れていくバンドのなんと多いことか。天才ミュージシャンは才能が溢れ出るままに、傲慢に生きるしかないのだろうか。
楽しそうじゃないKenさん、痛々しい。
Heepを終わらせるのはMickの役割だった。
Mick:「スタジオの仕事がなくなった。私はアメリカに行き、三週間様々な問題をずっと考えた。そしてイギリスに戻ってきて、メンバー皆に電話して、『バンドはもううまくいかない』と言った。Heepは長い時間をかけて腐ってきており、「Conquest」のメンバーは才能のあるミュージシャンばかりだったが、“バンド”にはならなかった。」
Slomanは沈没船を出ることにし、『私はHeepと過去18ヶ月間やってきたが、私の音楽的野心は別の方向にあると感じている』と声明を発表した。(彼はこの本のインタビューも断っている。)
MickとTrevorはHeepに残っていた。『さあ、Mick Box Bandをやったらどうだ?』という人もいた(実際活動したようだが)。
Mick:「袋いっぱいのファンからの手紙が私たちのオフィスに届いた。私はそれらを読んで考えた。多くの人が『バンドを手放すな』『あなたの音楽は長い間私の人生の風景だった』と書いていた。」
「私は近所でスコッチのボトルを3本買い、アパートでテレビの前に座って飲み続けた。そして、恐ろしい二日酔いになり嘔吐し続けた。しかし同時に、気持ちにケリがついた。」
ファンレターを読みつづけたMickは、自分の基盤と、Heepを続ける理由を見つけたのだった。
Mickはこの致命的な状況から自身を拾いあげ、新しいUriah Heepを立ち上げることを決意した。MickはUriah Heepを捨てられなかった。20歳の頃から育ててきたバンドだった。
そしてUriah Heepという名前は、Dickensに何かあると必ず思い出される、すばらしい名称である。Bron天才。
最新版は2019年のLiving The Dream、古くて新しいUriah Heep。
ハードロックしています!ナイスです!
これを書いている間に、2020年9月19日、Lee Kerslakeは73歳でがんで亡くなってしまいました。合掌。
(2020/10/05)
次はやっと『David Copperfield』のUriah Heepに入ります。
→A Tale of Two Uriah Heep -David Copperfield-
ここまで読んでくださってありがとうございました。